愛のこと。

朝起きて、目が覚めて、hagiさんぼんやり考えた。

 

愛ってなんだろう。

 

 

ふざけていません、真面目です。真面目だ。

こんな記事を読んだ。

 

愛について君は何を知っている ホンダの「ワイガヤ」(3) :日本経済新聞

 

すごく残った言葉がある。

ハードウエアには、前に“愛”が付く物と付かない物があるんじゃないか 

自分が愛するハードウェアは、

Mac、iPhoneiPadOLYMPUS-PEN、自転車、あとはヘッドホンくらいか。

リンゴ信者気持ち悪いという批判はさておこう。

 

製品を作る際、愛がつかないものは定量化出来るもので評価でき、愛がつくものは情緒的なものが必要というわけだ。

 

なるほどなと思った。

 

ここで、将来こういう製品に携わる人間として、愛してもらえる条件、が何なのか気になった。

 

同じものでも愛する人と愛さない人がいるのだから(母親はダイソンの掃除機を愛している)、それぞれの感じ方によることは間違いない。

しかし、決して愛がつかない製品があるし、多くのひとにとって愛がつく製品がある。

これがあればすべての人に必ず愛してもらえるというものは無いかもしれないが、愛してもらうために必要な条件は必ずあるはずだ。

 

生活必需品ではない、趣味の色が強いものは愛がつくことが多いように思う(カメラ等)。

だが、車が生活必需品な人もいるし、物のカテゴリーによって決まるわけでもない。

 

2、3日、ぼんやり考えて、

作り手と使い手の距離が短ければ短いほど愛がつくことが多いのではないか

という結論に至った。

ハンドメイドの物には愛がつくことが多い(手編みマフラーとか?)。

使い手から作り手のことがよく見える製品には愛がつきやすいということ。

 

ある意味、個性の強い(作った人の個性が出る)製品が愛される傾向にある。

デザインも、技術も、本当にさまざまなことが複合的に愛される製品を生み出すだろう。

だが、不可欠なものがある。

作り手が使い手のことを考え抜いているか、

ということだ。

これ無しに愛のつく製品は作ることが出来ない。

 

自分が愛される製品をつくるためには、出来るだけそういった製品に触れることだと思う。

実際に触って、使ってみて、ひとつひとつ感じていくしかない。

 

これからは、もっと丁寧に、色々なものに触れたい。

愛される製品を作りたい。